満漢全席と二大悪女
■満漢全席
<羊肉甲魚湯>羊の肉とスッポンにニラと生姜を加えて煮込んだスープ。 食材はどれも健康食品として古くから珍重されてきたものばかり。
「満」は満州族、「漢」は漢民族をそれぞれ意味している。すなわち、清朝宮廷において両民族の料理の粋を味わった宴席を言い、宴の規模も、品数2百種類を超えるという。清王朝の宮廷料理は、体によいものをシンプルに調理することが基本であり、現代の高級料理店の豪華な料理をイメージするとちょっとがっかりするかも知れない。
料理人は一人一品を担当し、それを極めることに料理人生命を賭けていたという。生涯一つの料理を作り続ければ、上達するのも早いという合理主義から来ているとか。
■満漢全席と西太后
西太后は大変なグルメで、満漢全席は西太后のご機嫌を取り持つものであった。 西太后の食事の際は大テーブル一杯に料理を並べさせ、その料理をことごとく口にした。歳をとってもその食慾は衰えを見せず、若い客達よりもよく食べ、手をかけた庭園をせっせと歩き回って食後の健脚(ダイエット)を日課としていたとか。 また、西太后が出かける時のお召し列車には、50のカマドを常時用意していくための厨房車が四輛連結され、料理人100人が待機し、100種類の正菜と100種類の軽食を何時でも用意できたという。
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| <西太后> | <仏香閣> |
■中国の二大悪女−西太后
彼女は咸豊帝の側室であったが、皇帝の死後その本性を剥き出しにし、後世の人に悪逆非道、冷酷無比と形容された政略によってクーデターを繰り返し、権力を握った。そのエネルギーの源は、何と言っても食慾−美食の追求であった。近代一の美食家と言われる由縁である。
その暮らしぶりの贅沢さも桁外れで、自分の還暦を祝うために海軍の整備費を流用して、北京に頤和園を改築した。ここで二百種類に及ぶ料理を作らせ、連日連夜の宴会をもったという。
このため海軍の軍事力はガタガタになり、日清戦争の敗北、諸外国の侵略へとつながり、清王朝を滅亡へと導いたのである。
権力の限りを尽くした彼女も、寄る年波には勝てなかった。遺言は「今後は女性に権力を持たせてはならない」だったと言う。自らの人生を振り返っての言葉なのか、それとも、自分以上に権力を握る女性の出現を恐れてのものだったのだろうか。
■現代で味わうには
日本や香港、中国の料理屋でメニューに「満漢全席」があるところはいくつもあるが、そのほとんどは品数も少なく、西太后が食べたものとは比べものにならない。しかし、中国東北地方の瀋陽では、つい最近まで昔清朝の皇帝に仕えた料理人が生きていて、本式の満漢全席の作り方を弟子たちに伝えていたという。そのためここでは、清朝の皇帝が食べたものと同じものが食べられるそうだ。
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| <子豚の黄金焼き> | <極上鮑のオイスターソース煮> | <蚕の蛹の香味炒め> |
■タン子肉−則天武后が愛した料理−
中国の二大悪女のもう一人は、唐代の則天武后である。西太后は表向きは皇帝を立てていたが、則天武后は自ら皇帝となった。その分、則天武后の方が悪女としては上手かもしれない。
さて、その則天武后も西太后に負けず劣らず美食家であった。彼女が口にした数多の料理の中で、最も愛した料理を紹介しよう。
その料理はタン子肉という。作り方は、皮付き豚バラ肉のブロックと獅子頭(巨大な挽肉ボール)を鍋に入れる。ダシを取ったスープを注ぎ、フカヒレ、アヒルの水掻き、朝鮮人参、干し貝柱、八角、様々な唐辛子などを入れてコトコト煮込むこと9時間。皮付きの豚バラブロックが、箸でハラリと崩れる位に柔らかくなる。
■政治家としての則天武后
皇帝を廃したり、自分に逆らうものは容赦なく処刑したということで、悪名の方が高い則天武后。しかし彼女の行いで賞賛されている部分もある。
当時は貴族政治の名残から民間出身で国政に参与する者はほとんどいなかった。それを嫌った則天武后は民間から人材を積極的に登用して国内政治に専念した。後に玄宗皇帝の下で「開元の治」と呼ばれる政治を行ったのは、則天武后に見出された姚崇、宋mの両宰相である。
また、彼女は則天文字と呼ばれる新しい文字を作ったりもした。ほとんど使われなくなっているが、一つだけ現代にも残っている。水戸黄門で有名な徳川光圀の「圀」も則天文字の一つである。




