中国四大美人と薬膳 −美食同源−
■美と健康の薬膳
薬膳の歴史は数千年前の中国医学から生まれた。古代中国では医師に4種類のランクがあった。その中で御典医として皇帝や妃の食を支え、美容や健康の相談役になった「食医」が最高峰とされてきた。
歴代皇帝の中でも、 玄宗皇帝と楊貴妃がともに食した美と健康薬膳料理こそその最たるもの と言われる。楊貴妃の肌は天女かと思われる神々しい輝きを持ち、白楽天が
「その蠱惑的な肉体を温泉の水が玉を弾きながら滑り落ちていく。湯に当たってぐったりした楊貴妃を侍女たちが助け起こし、きらびやかに飾り立てていく」
と詠っている。
そのため楊貴妃が食べたいと言えば手に入らぬものはなく、一言「○○が食べたい」と言えば、遙か遠くの地までも使者が赴きいて取り寄せられたのである。
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| <甲乙膏>玄宗皇帝と楊貴妃の食卓にのぼったと 言われている料理 | <太白鴨>詩人李白が玄宗皇帝に献上して、大変 喜ばれたと言われる料理 |
■亡国論に数あれど
美女が原因となって滅びた国の例は枚挙にいとまがないが、美女によって国が興ったという例はない(?)とか。皇帝たるもの、酒に酔い、美女に酔い、魂まで失っては城も国も支えることはできまい。ここに美女亡国論が生まれる由縁がある。
■中国四大美人−楊貴妃−
楊貴妃は名を玉環といい、寵姫を失った唐の玄宗皇帝が美女を探した際、後宮に入った。
楊貴妃は玄宗皇帝好みの女性で、彼女が後宮に入ってからは彼女に溺れ酒に溺れ、政治を彼女の身内である楊国忠に任せきりにした。「改元の治」と呼ばれていた治世も乱れ、安史の乱が起こった。
賊徒によって都長安が陥落し、玄宗皇帝は近衛兵とわずかな供を連れて四川へと逃亡。その途中、兵たちが叛乱して楊国忠を殺害、さらに乱の元凶である楊貴妃の殺害をも皇帝に迫った。
苦悩の末処罰を決断した玄宗皇帝だったが、楊貴妃は自らの運命を悟り、自らその命を断っていた。 長い中国の歴史でも名君と讃えられた玄宗皇帝を虜にした楊貴妃の美貌とは、いかばかりのものだったのだろう。
■中国四大美人−王昭君−
<漢と匈奴の争い>
始皇帝の死後、中国は劉邦の漢によって統一されたが、時期を同じくして統一を果たした北方騎馬民族の匈奴との争いを繰り返していた。漢は初期から劣勢で、幾度となく匈奴が漢に攻め込んでは、漢に不利な条約を結ぶということを繰り返していた。
やがて匈奴も内部で叛乱が起き、漢との戦争どころではなくなった。そこで匈奴側から婚姻を結んで友好関係を築きたいという申し入れがあった。
漢としては願ってもない話であるが、仇敵とも言える匈奴に娘を差し出したくない漢の皇帝は、後宮の中から相手を選ぶことにした。当時後宮には何千人もの美女が集められていたため、宮廷画家に似顔絵を描かせ、その絵の中から側近相手を選んでいた。血縁ではないといっても、一番の美人を匈奴に与えたくない皇帝は、似顔絵の中から最も醜く描かれた宮女を選んだ。
<救国の美女>
それが王昭君であった。実は、彼女は後宮でも一、二を争う美女だったが、画家に賄賂を送らなかったために醜く描かれていたのであった。 いざ王昭君が出国するというので彼女を一目見た皇帝は、その美貌に驚き後悔した。
しかし、匈奴との約束を反故にすることもできず、泣く泣く王昭君を匈奴に献じた。
匈奴の王も王昭君の美貌を気に入り、王昭君も内助の功を尽くしたため、以後匈奴と漢の間に戦争は起きなかったという。
■中国四大美人−西施−
春秋時代の末期、南方では呉と越とが覇権を競っていた。呉に破れた越王は復讐の機会を狙っていた。国力を蓄えて軍事力を養うだけでなく、呉王に美女を献上することで骨抜きにしようとした。
そこで選ばれたのが西施であった。呉王は西施の美貌に溺れて呉の国は衰退、やがて国力を回復した越によって滅ぼされてしまった。西施は胸を患っていて、胸の痛みのためにいつも眉をひそめて歩いていた。それが一層西施の美しさを際だたせたため、町中の女がその真似をするようになった。ここから「ひそみに倣う」という言葉が生まれた。
あまり美しくない女がやるとかえって醜くなってしまうため、その町の男たちの中で、金持ちは門を閉めて家に閉じこもり、貧乏人は町から逃げ出してしまったという。
■中国四大美人−貂嬋−
四大美人の中で、この貂嬋だけは架空の人物である。
三国時代、後漢の司徒王允の養女。暴虐の限りを尽くした董卓を倒すため、義理の息子である呂布との間を裂くために利用された。結果、計略は成功し董卓も死亡するのであるが、貂嬋のその後にはいくつか説がある。
一つは呂布の妻となり、以後行動を共にしたという説。もう一つは、計略の成功を見届けてから自殺したという話である。
いずれも、貂嬋が架空の人物であるため、真偽を確かめることはできない。
正史の中に貂嬋の名はないが、董卓の侍女を呂布が愛したこと、呂布には美人の奥さんがいたという話があり、それらを合わせて創作されたと言われている。

