劉伶と一壷の酒−1360年前の墓から蘇った竹林の七賢−
■礼教主義の崩壊
このお話は、紀元3世紀の中国魏晋の時代にさかのぼる。
前漢から続く「礼教主義」(前後400年)が崩壊して、人々が全ての権威、生きる指針を失った時代である。一体われわれはどう生きていったらいいのか。”生”の葛藤に国中が行き詰まっていた。
このとき、街を放浪して竹林に筵を敷いて篭もり、世間に背を向けて日夜酒を酌み交わして人生を論じ合った、一種のサロンのようなものが存在した。いわゆる竹林の七賢である。
サロンの主たちは、いずれも一流の知識階級に属し、身分を保証されているのに官を辞し、あるいは登庁を拒否して集まった人物達。ペシミスト(悲観主義者)グループとも言えよう。
■劉伶と一壺の酒
さて、本題の「酒」に話を戻そう。
七人はいずれ劣らぬ酒豪で、常に酒を主として論議していたが、中でもずば抜けていたのが、劉伶である。
■酒酔欲仙
しかし、この私は酒を飲み始めると「己を制する」ことができず、飲むほどに、酔うほどに、仙人の境地(酒酔欲仙)に入り込んでしまうのです。そして、そんな年月を繰り返している内にいつのまにか私は一匹の老馬になってしまいました。老馬は何の役にも立ちません。
劉伶はガタガタの手押車を引かせてその上に胡座をかき、一壺の酒を抱え込んでは随所で酒をあおった。そして、車の後ろにはいつもスコップを持った小男がトコトコ走ってついていた。劉伶は振り向いてはこの小男に言いつけるのであった。
「わしがくたばったら、その場所にスコップで穴を掘って埋めるのだぞ」
と、スコ ップを指差して諭したという。
■墓の発見
今から1360年前の、由緒ある墓が発見された。それは僅か40年前のことである。
この墓には、竹林の七賢の人物像画が生々しく、レンガを組み合わせた壁面に現存していた。一体この墓の墓主は誰なのか。直感的に思い浮かぶ人物はいるが、今ここで断言するには、夫々の人物との時代やタイプが違い、矛盾する面もある。
■墓中での酒友
ともあれ、墓室の内部に描かれた人物像は、まず墓室の壁に七賢人像を画いて、それを賓客の位置に置いた。主人の一には自画像を据え、七賢人の画像にそれぞれの人物をたたえる賛と頌(しょう)の文章を添えたのである。
これは主人が彼らを賓客とし、かねてからの敬慕の情を表したのである。いわば、主人が死後、この七人と墓中で酒盛りをして暮らしたいという願いそのものなのである。
今のところ、この墓主が誰であるかは分からないが、墓主が死後の語らいの相手に選んだのは、何よりも「竹林の七賢」だったことに違いはない。