【魏王朝】三国時代の覇者?
■「勝率8割」の戦歴=曹操=
魏・呉・蜀の三国時代、当代で並ぶ者のいない程戦略・戦術に長けていたのが曹操である。そのことは多くの伝記の認めるところであり、忙しい軍務の合間を縫って研鑽を重ね、ついには「孫子注釈書」まで著している。
現代に伝わっている孫子の兵法は、この曹操の注釈の入ったものである。彼の戦歴をたどると、”勝率8割”というのもむべなるかなである。
■最大のライバル劉備
| <曹操像>全中国の3分の2を手中に収めた曹操。その配下にも名将が多かった。 |
曹操と劉備の攻防は、まさに三国時代の国盗り物語の白眉である。
劉備は、曹操にとっては積年のライバルといっていい存在である。その劉備が巴蜀(現在の四川省一帯)を自らの領土としたとき、曹操は自ら軍を進めて蜀の入り口である漢中を奪った。その後も一進一退、両者の間に長い膠着状態が続いたのである。
ある日曹操は「鶏肋」という陣触れを出した。
ほとんどの将軍には何のことかさっぱり分からなかったが、参謀の一人である楊修(ようしゅう)だけが、撤退の準備を始めた。諸将がその理由を聞くと、楊修はこう答えた。
「鶏の肋は、肉はないがしゃぶっていれば実に味わいのあるもの。同様に捨てるに忍びないのは目の前の劉備軍である。しかし、長期の対峙は食糧不足という問題を招くので、明日は陣払い(撤退)の触れが出るのではないか」
そしてその通り、曹操は漢中守備隊だけを残し、撤退したのである。
■曹操の深謀遠慮
巴蜀地方は人口が少なく、作物も育ちにくいことから、攻め取ってもメリットは少ない。長期対陣による損失と計算して、曹操は撤退を決意したのである。孫子に
「利に合して動き、利に合せずして止む」(九地篇)
とあるが、戦場にあっても冷静に損得を計算できたことが、曹操の高い勝率を支えたのである。