韓非子(生年不詳〜紀元前233年)
■韓非子を完全には活かせなかった始皇帝
始皇帝は彼の著作(五蠹篇(ごとへん)と孤憤篇)を読んで、「ああ、これを書いた者と会えたら、私は死んでも悔いはない」とまで言い、それを国家運営に活かして史上初めての統一国家建設を成し遂げた。
しかし、韓非子が繰り返し注意した側近間の権力争いを放置したため、韓非子は彼の才能を妬む李斯に毒殺され、国自体も始皇帝の死後わずか4年で崩壊した。
■韓非子の思想
核心にあるのは「法術」である。韓非子は師である荀子の「性悪説」を基本に、先輩の法家−秦の商鞅の「法」と韓の申不害の「術」を統合して「法術」を完成し、これを国家統治の根本原則であると主張した。
法術の「法」は、現代でも使われている法令のことである。
■統一国家統治の指針
韓非子は法こそがすべての人民が従うべき、唯一絶対の基準であるとした。
「名君の治める国ならば、書物は無用である。法そのものが教えなのだ」(『五蠹(ごと)篇』)
基準としての法が徹底されていれば、国という機構は完成される。君主はその機構の頂点にあって、運営に努めるだけでいいのである。その法の使い方を「術」であるとした。術とは何か。
君主が直接相手をするのは臣下である。術とは、君主の臣下操縦術に他ならない。臣下を上手く操縦するには、まず臣下の言行を知らなければならない。
「君主が目を覆われ、大臣が裏で権力を恣(ほしいまま)にする」(『孤憤篇』)
悪徳側近をいかに排除するかを韓非子は力説したが、これが難しいことは、歴史の証明する通りである。