三国志に幕を引いた男=司馬懿
■名士・司馬懿
司馬懿は、孔明のライバルとして有名な人物である。曹操が、自分に仕えなければ殺すとまで言って強引に配下に加えた程の人物である。しかしその能力と野心を警戒した曹操は、実権は与えなかった。
曹操の息子、曹丕の代になると、司馬懿が曹丕の教育係を務めた関係から重用されるようになった。その曹丕が死に、次の曹叡の代には対蜀の最前線で軍を率い、戦功を挙げて出世していく。そして曹叡は後事を一族の曹爽と司馬懿に託したのである。
■一世一代の大芝居
曹爽は皇室の期待を一身に担ったプリンスであったが、司馬懿は軍権を一手に担う存在であった。皇帝の曹芳が幼かったことから、実権を巡って両者の争いが始まった。
この時60歳を超えている司馬懿は、高齢を理由に田舎に引きこもることにした。それでも曹爽は警戒し、隙を見せないため、司馬懿も手を出せなかった。
ある時曹爽が様子見の使者を出した。司馬懿は使者に対し、「荊州(けいしゅう)」を「ヘイ州」と間違える等、ボケ老人を装った。
これを聞いた曹爽は、警戒を緩めてしまった。近衛兵を率いて狩りに出た隙に、司馬懿はその兵を率いて都を占領したのである。
■三国時代の終焉
こうして実権を握った司馬懿は曹氏政権の内部で派閥を強化した。そして長男の司馬師、次男の司馬昭がその地盤を引き継いでいった。その間、魏の皇帝はいずれも幼君であったため司馬氏の操り人形となっていた。司馬昭は政権内に自分に刃向かう者がいなくなったことから、魏の皇帝を脅迫して皇帝の位を奪い取ったのである。
こうして魏は滅び、司馬氏の晋が建国された。司馬昭の代で蜀を滅ぼし、子の司馬炎が呉を滅ぼしたことにより晋が天下を統一。曹操、孫権、劉備によって彩られた三国時代も、こうして終焉を迎えたのである。
◇魏王朝概略 西暦220年〜264年◇
魏王朝は西暦220年、乱世の姦雄と評された曹操の息子、曹丕が時の皇帝から禅譲を受けて成立した。
魏は中国大陸の3分の2を押さえて圧倒的な国力を持っていたが、初代曹丕、二代曹叡以下、歴代皇帝がいずれも短命であり、政権の基盤を整える前に没することが繰り返された結果、呉・蜀を下すことができなかった。さらに内部では有力豪族の司馬氏が台頭、264年、五代目の曹奐が司馬昭に皇帝の位を禅譲して魏王朝は滅びた。