【呉王朝】長期政権とストレス
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■呉の初代皇帝・孫権
酒席での失言がもとで出世をふいにした、という話はよく耳にする。しかし歴史をひもとくと、酒乱の血筋が折角代々に亘って築き上げた国家を、滅亡させたという話に遭遇する。
後漢が滅んだ後、魏・呉・蜀の三国が三つどもえの争いを繰り返していた。その中で呉は、豊かな江南(江蘇省・広東省一帯)に勢力を築き、魏に次ぐ実力を持っていた。ライバルたちが国を滅ぼしていく中、最も長く存続した国家を築いた名君が孫権であった。
本題の酒に焦点を移そう。呉の初代皇帝孫権は、史上有数の名君であるとともに、まれに見る酒乱の人であった。
■孫権の宴会
宴会の席で、孫権は酔っ払って酒をついで回るのを習慣としていた。臣下としては、自分の主君が自ら注ぐ酒なので、断るわけにも行かない。そこでついつい泥酔するまで飲んでしまうのであるが、臣下を酔いつぶして、ともに酔いつぶれることを繰り返して、悦に入っていたのである。
ある宴席に出席した臣下が、そうした孫権の行為を嫌って泥酔したふりをして酒を注がれるのを断ったため、孫権を怒らせてしまった。孫権が酔ったまま剣を取り出して「切り捨ててくれる」と叫んで鞘を払ったので、周囲の臣下が必死になだめてどうにか事なきを得た。
やがて自らの酔いも覚め、この話を聞いた孫権はさすがに反省し、
「今後私が酒を三杯以上飲んでから出す指令は、全て無効だ」
という珍(?)指令を出したのである。
■恐ろしきは酒か、それとも?
孫権は、父親と兄が若くして無くなってしまったため、19歳という若さで呉の国を一人で切り盛りすることになった。その心労たるや、彼が酒乱になったのも、そこに一因があるのかも知れない。
ところが初代皇帝孫権の、この酒乱の血は子孫に受け継がれ、呉の国は酒が原因で、衰退の一途を辿ることになったのである。
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| <孫権の墓>国を滅ぼした子孫たちを、どんな思いで見ていたのだろうか。 |

